正しい漫画を返せバカ

正しい漫画って増えていませんか?

 

私は漫画が好きなので、広告を見て無料で漫画が読めるタイプのアプリを10個くらい入れているのですが、そこで咲坂先生(アオハライドとか描いた方)の思い思われ振り振られ(漢字違うかも)と言う漫画を読んでいて、

 

複雑な家庭環境から自己表現がうまくできない明里ちゃんという女の子が、片想い中の男の子に、『私たち付き合わない?だって君わたしのこと好きでしょ』と言うんです

堂々と振られることが怖すぎて、素直に 好きです付き合ってください、と言えない明里ちゃんの屈折した性格が表れてるなあと思ったのですが、

コメント欄でびっっっくりするほど叩かれてた

そんな言う?

確かに、正攻法で告白せずにこなれた感じを装って逃げ道を用意した明里ちゃんはずるいでしょうけど、だって高校生だし……いや大人だって居酒屋でこんなのやるでしょ その時隣の席でその場に居合わせたみなさんは心の中で『マジ明里性格悪いな』って唾を吐くんですか

 

これは2年前くらいから言っているんですが、漫画やアニメなどにおいて登場人物たちの正しさがかなり求められるようになっている気がする (これは2.5次元媒体であるVtuberもそうですね)

物語においてはカタルシスが必要なので、そこに至るまでに、いわゆる胸糞ゲージが必要なんです 登場人物が友達に酷いことを言ったり、すれ違ったり、八つ当たりしたり、あるいは人の道を外れたり。そういうモヤモヤがはち切れて発散されるからこそ物語の脳イキことカタルシスが生まれるんです

しかし、この胸糞ゲージが溜まるまで我慢できない人が多すぎる

(これは最近顕著なのか、私が最近気付くようになったのか、どちらか分からない)

 

読者が物語の道筋の正しさや登場人物の社会性の高さを重んじるあまり、つまんねーーーーーーーー漫画が増えすぎている

Twitterの4枚画像完結型の漫画(?)がいい例で、〇〇が△△して××な話、という題名で簡易的なエモ…をテンポよく描いて、『尊すぎて読めなーい!!!』『続 き が 読 み た い』という画像がリプ欄に乱立するアレだ

バズりがそのまま出版につながる時代、それをうまく使う作家の方が悪いわけないのだ

つまんねーーーーーーエモ…を画像1枚で消費していく読者が悪いわけでも

ただ、漫画だけは私の味方なんじゃなかったのかよ

私の陣地にいたはずなのに

いつのまにか。

 

主人公がどうしようもないクズだとして、そのクズさが過去のトラウマや失敗から形成されたとかいうそれならしょうがないね、という人間性の担保はいらないのだ

どうしようもないクズでよくわからん行動ばかりして周りを引っ掻き回してサイテー最悪でへらへらして酒ばっか飲んでたとしても、漫画として面白ければそれが正しさだ

正しい漫画とは、主人公が正しいものではなくて、面白い漫画なのである

分かりますか。

 

ほとんどの人が漫画を読むようになって、登場人物の属性が好きと嫌いで二分された

鬼滅…で言えば、好きは炭治郎や禰󠄀豆子だし、嫌いは鬼である(じっくりと読んでいないので分からない) 炭治郎は好かれるためにくどいほどに清く正しく優しい少年だし、鬼は色んな人を食べてヘイトを貯めていっている

呪術…で言っても、悠仁は人助けが好きな明るい青年で、呪物は悠仁の友達を喰ったりして明らかに悪いことをしている(こちらも詳しくはあまり知らない)

登場人物をわかりやすく二部することで、物語自体へヘイトが向かうことを避けて、善が悪に毅然と立ち向かうことでカタルシスを起こしている

広告に出まくる、私ってサバサバしてるから、のサバ女こと綱浜さんなんかは物語や登場人物、読者のストレスやもやもやを一心に背負うカタルシスのための化け物ヒールである

 

今求められている漫画は一億総スカッとジャパンで、ただスカッとしたいだけなのかもしれない

即物的にほんわかしたり晴れやかな気持ちになるミンティアのような軽いものなんだろうな

 

もしかしたら違うのかもしれない

出てくる人間がドクズだったりなんとなく悪い人間でも面白い漫画は今も増え続けていて、湖の中の街のようにきらきら栄えているのかもしれない そうだといいなと思います

 

読んでくれてありがとうございました。