主人公論

 

主人公に社会的正義と倫理を求めるのは何故

 

例えば、僕は撮影会モデルという仕事をしていて、まあ平たく言えば一般的にモデルと言われて想像する仕事と遜色はないんですが、普通に炎上しちゃうんですよね、仕事用のSNS

カメラマンさんもいい人ばかりではない、というかいい人はほんのひと握りで、大体は40代から60代の実家暮らし独身男性な訳です。ヤバくないですか。実家暮らしの独身男性という言葉だけで頭の中に国民保護サイレンの和音が流れますよね 偏見と言われれば純度の高い偏見なんですがあながち間違ってもいないんですよね

結婚しよう、と言われたこと3回。口説かれたこと5回。パンツを脱がされかけたこと1回。セクハラ600万回。

僕だってむやみやたらとセクハラセクハラと言いたい訳じゃないけど、お尻の大きさ最高だね(ハート)    おじさんって言わないでショックだから(ガチ泣き)    書き出してみると語録がヤバいな twitter名物 #クソ客のいる生活 に負けず劣らずのストックがある訳です かく上に、本来コンビニ店員と並ぶ健全な仕事のはずが一生親に言えない

前置きが長くなったけど、それでも僕は何も言えないんですねSNSでは。言っちゃいけないんです。言った途端に事務所が颯爽とツイ消しをしてしまう

それは僕が主人公だからに他ならないんです。カメラマンがいて風景があって写真があって僕がいる。その中の主人公はモデルの僕なんですね

 

偶像の主人公には強い社会的正義と倫理観が求められる

アイドルマスター島村卯月も、まどマギ鹿目まどかも、アニメでなければAKBの前田敦子であったりドラマHEROの木村拓哉であったりスケートの羽生結弦であったり

彼女らは紛れもなく特に主人公然とした主人公なんですが、長所と短所が言葉を言い換えて互換するような社会正義を持ち合わせている訳です そういう主人公が大衆からは好かれるしむしろそうでなければ成り立たないんです

スポーツや芸術の部門であればそこに勤勉性などが加われば尚良いと思う 

 

最近は、主人公が悪人であったり腹黒であったり…というのも好まれますが、それは“胸糞“さをエンターテイメントとして楽しむ異種なのだと思い…自信はない

 

何が言いたいかというと、主人公をみるとき僕たちは圧倒的に端キャラ、モブな訳です。なので主人公然としていない主人公に対しては、折角僕がモブってるのに…という思いが出てしまうのでは…という考察です。

 

よく、アニメや漫画に対して『この主人公わがままでムカつく』『言動が無神経すぎる』とかいう感想見ませんか?けもフレ2期が荒れた一因も主人公論に依るこれだと思うんですが。

3次元のアイドルとかだと、少し言葉を間違えた投稿をするだけで鬼の首を取ったようにリプ欄が湧きますよね。(最近だと平成天皇〜とか)

前なにかのアニメで『箸をおかずにつけたまま喋るのは行儀が悪い』みたいなコメントを見たときは、姑か?と思いました モブというより姑なんですかね

僕としても、賃貸で大麻を栽培し出すぐらいまでは放っておいて欲しいですね。僕は主人公だけど、それはファインダーの中だけの話。それとも主人公でいる限りしょうがないんですかね