主人公論
涼宮ハルヒ、うざすぎ!!!!!!!!
って、今なら思われそうだな。と思いました。コロナ渦なのでdアニで涼宮ハルヒを一気見しており、涼宮ハルヒが2021年に放送された時のTLを想像していました。
涼宮ハルヒはめちゃくちゃわがまま。朝比奈みくるを拡声器でポコポコするしパソコン部虐めるしキョン!池の水全部抜くわよ!って言うし、なんか声デカいし踊ってる時の腰つきも怖いし…
しかし放送当時は思われていなかったわけです。少なくとも秋葉原で涼宮ハルヒたちがユカイに踊るぐらいには、
今ってフィクション内の登場人物たちにも倫理が求められている気がするんです。
もっと言えば「その倫理観を持っている登場人物を書いた作者の倫理観」が問われている気がする。
昨今のソレで言えばえんとつ町の……。がその代表で、
西…。さんの人間性はさておきとして、えんとつ町の…。の評判がそのまま西…。さんの評価になっている
こういうことは頻繁にあって、フェルトハンドメイド作家がゆるふわリンネ系女性であるとか、えげつない女児リョナを描いているのはおじさんだとか、転換すればこの作品の女性が強いのは作者がフェミニストだから、とか、このアニメの変身バンクが無駄に凝っているのは作画監督がこのキャラクターを気に入ってるから、だとか、そういった見方もある
あるし、最近のアニメやメディアの見方や楽しみ方はそういう本面に舵を切っているきがするんですね
お母さんが言うクドカンのドラマだから観る!
という感じでもなく、
この原作者、この監督、この作画監督、この制作会社、この提供…、というのを切り貼りして出来上がったパズルの出来にみんなでやいやい言っているような
主人公がどんな非道なことをしたって極悪人だっていい子ぶっときながらモラルが欠如してようと主人公なんだからそれでいいのに、ニコ動に赤字で ※こんな顔をしていますが主人公です と書かれてしまう…
物語における主人公というのは見ている人を物語へ引き込む、いわば投影装置のようなものなので、もしかしたら理想の主人公というのは「その人のなりたい自分」というのがふさわしいのかもしれない。
とすると2006年ごろの人たちは本当は平凡な人間には興味がなくて異世界人や宇宙人未来人がいたら私のところに来なさい!と思っていたのかもしれないし、2021年ごろの人たちはそういうのを煙たがる感じなのかもしれないです
どう思いますか。