礼拝メッセージ

ミッション系の大学に通ってるんだけど、毎昼礼拝がある。私は無神論者だしむしろアンチキリスト教みたいなところがあるからほとんど出たことがなかったんだけど、メッセージをすることになった。メッセージていうのは、教会とかで牧師さんがする説教、みたいなやつ。それを大学では生徒で回してく。でも牧師さんの真似っこじゃなくて、するのは主に自分の話。やってみよ〜って思って、今日やったやつ。最後まで上からはOKが出なくて、いや強行突破したんだけど、つくづく自分は文章を攻撃されるのか大嫌いなんだなと思った。ここの語尾変えたら?って言われただけでも憤怒するもん。ハムスターみたい。

下に全文載せる。

無神論者とクリスチャンが付き合ってます

て題名。

 

 

 

 

こんにちは。学部一年の-------です。

 

無神論者とクリスチャンが付き合ってます。

このタイトルの通りです。私はかねてよりの無神論者で、そんな私の恋人は洗礼済みのクリスチャンです。

私とその彼が付き合ってから、昨日でちょうど8ヶ月が経ちました。私も彼も温厚でどちらかと言えば争いを避けるタイプですが、喧嘩は意外にも絶えません。そのすべてが、互いの宗教観に関するものです。神様はいないと思う私とその存在を信じている彼、一緒に夏祭りに行きたい私と、神社や寺院には入ることの出来ない彼。エスニック雑貨が好きな私と、民族・土地信仰のあらわれだと捉える彼。逆に、信仰は置いておいて私にキリスト教を知ってほしい彼と、学校の礼拝にすら行くことの出来ない私。私の相談に聖書の言葉を用いて答えてくれる彼と、それにすら敏感に嫌悪感を示してしまう私。

宗教と言うのは、その人を培ってきた土台であり、価値観の根本にあるもので、これからの人生を導いていくものだと考えます。私が、何も信じないことを自分の軸にしているように、彼の人生の軸になるのはキリスト教。その宗教が、お互いの唯一の地雷だなんて、そんな悲しいことがあるのか。まさに、私VS(ヴァーサス)キリスト教、幸せいっぱいな8ヶ月の中で、どこか心の奥でずーっと、真剣に悩んでいました。「私じゃなくてクリスチャンの彼女ならよかったのにね」。そう彼にもらしてしまったことすらあります。彼は、「なんでそんなこと言うの?」とだけしか言いませんでした。そうだね、とも、そんなことないよとも言わなかった。ああやっぱり、自分の中に信仰がないというのは、悪いことなんだ。信仰のある人より私は劣っているんだ。私と彼の間に優劣があるから、だから分かり合えないんだ。私は神様を信じることが出来ない、彼と同じ場所に行くことが出来ない。ならば、彼がクリスチャンじゃなかったらよかったのに。いっそ、キリスト教なんてなければよかったのに。でも多分、そのどちらが叶ったとしても、私たちは出会えなかった。クリスチャンの私は私ではないし、クリスチャンでない彼は彼じゃない。それはもう別の人間で、出会うこともない。なにより、私が好きなのはクリスチャンの彼で、彼が好きなのはノンクリスチャンの私です。そう考えると、もう答えが出てしまうんです。この悩みに答えはないよねっていう答えが。

どのカップルだって完全に分かりあうことは出来ない、と言っても、私たちの間に存在する溝が普通よりも深いことは確かなのだと思います。それでも、お互いをお互いに好きになってしまったのだから、しょうがない。どうしようもないことなのだから、進んでいくしかない。悩むことを避けては通れない。だから、悩み続けるしかない。今はそういう、諦めの中にいます。

どうか、暖かく見守ってくださると、とてもうれしいです。

 

大好きな------へ。

聖書なんて授業でしか使わないよっていう私に、CCCのみんなが今回のメッセージでの聖書箇所を提示してくれました。信仰のない私なのに、人が信じているものを平気な顔をして踏みにじってしまう私なのに、CCCのみんなも、学校のみんなも、優しいです。みんなと一緒に選んだ聖書の言葉を、最後に、満喜へ送ります。

 

わたしをあなたの心に置いて印のようにし、あなたの腕に置いて印のようにしてください。愛は死のように強く、ねたみは墓のように残酷だからです。そのきらめきは火のきらめき、最もはげしい炎です。

愛は大水も消すことができない、洪水もおぼれさせることができない。もし人がその家の財産をことごとく与えて、愛に換えようとするならば、いたくいやしめられるでしょう。

 

 

 

 

話終わってめっちゃ泣いた。話してる間に自分に酔っちゃったね。自分の文章に。そういうところある、自分。

多分卒業までもうやらないけど、なんかスッキリした。今日はセックスしよ