3月10日

本気で死のうとしてありったけの眠剤を飲んだ時のこと。2年前の3月10日。日付を覚えてるのは、その次の日がちょうど東日本大地震の日だったから。追悼番組を観てた記憶がある。今でも死にたいとは毎晩思うしなんなら常に脳裏にその想いはあるのだけれど、ちゃんと突き詰めて考えれば、(しんどすぎてこのしんどさから逃れたいけどもう二進も三進もいかないから逃れるための手段として)死にたいって感じ。だから楽になりたいって方が合ってるんじゃないかなあ。3月10日は、妙に元気によし!死のう!ってなって、簡易的な就活までした。うつで自殺する人は少し元気になって来たときが危ないってほんとなんだな。まず、親と当時の恋人にあてて遺書を書いた。この遺書はなんならまだ新居の小物入れにある。コンドームの上に被せてる。このゴムを使うことができるのは私が生きているんだな、という意。嘘だけど。偶々。遺書にキャッシュカードやら色んなパスワードを記して机の上に置く。そんで、当時はバイトを4つしてたんだけど、その4つに、インフルエンザに罹ったので暫くお休みしますっていう旨のメールを送った。復帰日をぼかした自然なフェードアウト。冷静すぎ。ファインプレー。そんでその足で近くのサンクスに最後の晩餐を買いに行った。レジの前にあるエビカツ。エビカツって。エビカツオンリー。その前の日に食べたかったんだけど、300円は高いなあと思って諦めたやつ。買って帰って食べた。熱すぎて味がよく分からない。そんで何十錠かの眠剤。そんなんで死ねないことは今なら分かるんだけど、かき集めてそれしかなかった。何十錠を5分ぐらいかけてちまちま飲んで、スマホで姑胸糞まとめ速報見ながら眠りについた

ちなみに飲んだ眠剤の名前はマイスリーって言って、規定量でも副作用ではちゃめちゃな幻覚を見るしヤク中みたいな幻聴も聴く。寝られないよりも辛い入眠。

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ここから3日、記憶が途切れ途切れになる。憶えているのは、部屋中に赤い人が居たことと、その前の日の部活で注意してくれた先輩が永遠に私に怒ってくるっていう幻覚。赤い人だわそのうちの1人は怖い先輩だわでひんひん泣いた。テレビをつけたら追悼番組が流れていて、言葉の意味はわからないのだけれど、ひんひん泣いた。

そんで、3回ぐらい吐いたんだけれど、その処理を自分でして、自分でタクシーを拾って夜間救急に行った。この間薬は抜けてない。タフすぎるし冷静すぎる。死ぬ気なかっただろ。病院はあまり憶えてないのだけれど、年を聞かれて9歳!と答えたのは確か。入院にならなくてよかったね。ODしてから4日目、居酒屋のバイトに復帰した。たたききゅうりめっちゃ作ったしチューハイを滝のように注いだ。なんだったんだ。その時は死ぬことしか頭になかったんだけど、まあ死ななくてよかった。あんなに追い詰められることはもうないにしても、来年はちゃんと追悼したいね