命の重さについての話(ありきたりな話)

 

僕は福祉の大学にいるので人権を擁護することについて毎日議論や思考をしています。

そしてとうとう命の重さに軽重は確かにあるのだと気付いてしまいました。ありきたりな話。

もし僕の命と引き換えにアップル社を作った人(スティージョブズみたいな名前の人)を生き返らせることが出来るとしたら、絶対に。絶対に生き返らせた方がいいんです。それは日々の僕の死にたさや苦しさなどの主観を加味しないとして、僕の極めて近親の人間関係がそれを否定するとしても、絶対にスティージョブズの方が僕より価値がある。この価値というのは能力や信頼や人望や本当に色々な要素を現実的に或いは神学的に考えたとして もしスティージョブズが生き返るなら殉死という形で殺してもらってもいいです めちゃくちゃ嫌ですが

 

つまらない話をしてしまった

 

命が平等なんてそんな訳はないけれど、平等にしようとする努力は必要だよなあ?それは個々の中でも必要なことなんだ

クソみたいなものを食べてクソみたいな音楽をしている ついでにクソみたいな文章も書いている クソみたいなセックスと睡眠と これが大学生ですか それとも僕自身か

なにもかもどうでもよくなってしまって、ついでに離人感が酷すぎるので授業中にスマホで高尾の物件を調べていたら教授に怒られて泣いた 僕の人生の象徴みたいな出来事だな、と思った。

血管が複数本切れてどうにかなったのか?というレベルに眠く、一日20時間は寝ている。これは貴重な4時間の間に打っている。さすがに不安になって親に電話をしたら(この歳になって本に困った時に頼れるのが親しかいない) 変な精神の薬飲んでるからだ、と怒られた。朝学校に行って夜までずっと椅子に座ってたら寝なくて済むだろう、とも。ムカついたので頭の中で親をつねった。

結論から言えば、僕は今僕の命の重さを薄く軽く下げている状態なんです。

地獄にいるスティージョブズがこっちをみている。まあスティーブには可愛さでしか勝てないな、など

僕は冬が苦手です。自殺未遂をしたのも不登校になったのも腕を切るのも全部冬です。どうしてかと言われると色々と理由はあるのだけれど、雪国で産まれていないからかもしれない。

 

 

つまらない話をしてしまった