音楽ができないこと
音楽ができない
ぼくは今大学のサークルの部長でそれは吹奏楽部なんだけれども部員がせいぜい1桁しかいないのと僕以外ほぼ全員初心者なのもあって しかも活動が緩すぎる、僕が部長になれるって点でお察しなんだけどね なんというか、めちゃくちゃ下手なけいおん!って想像してほしい めちゃくちゃ下手というか、聴くに耐えないふわふわ時間、と想像してほしい ごはんはおかずでも大丈夫です 聴くに耐えないレベルの音楽って想像したことありますか
浜松市立高等学校コンサートバンドだった人たち。音楽はたのしかった?音楽は楽しくできていたのだろうか、
365日、1日中ずっと、ずっと、ずっと、高校生活の全てを賭けて泣いてばかりだったあのとき、音楽は、できていた?
出来ていたようにおもう、今でも高揚感は、ある。胸の底にある。みんなが大好きだった、いち音いち音が愛おしかった、大切だった。そらんじるフレーズがきらきらと今も、ずっと。だからってもう一度時が戻ったら絶対に吹奏楽なんかやらない、あんな思いは二度としたくない。身体も心も大事にしたい。
でも。
追い詰めなければ、苦しまなければ音楽はできない、って、やっと気付いたんです 気付いた時悲しかった、嫌だった。でも僕は音楽がしたくて、だから選んだんです
『注意されたくない』
甘ったれんじゃねーぞ
『音楽は楽しいものだから』
甘ったれてんじゃねーぞ
『怒られてまでやるものじゃない』
ふざけんじゃねーぞ
そうだよねそうだよねって仕方なく肯定してきた言葉たちがいま牙を剥いているんです 馬鹿にしないで へらへら笑ってただ音を出すだけのそんな音楽はできないんです、少なくとも私には。
『もっと本気でちゃんとやれよ』
って私に怒ってくれた成蹊大学の頃のジャズ研の先輩、ありがとう。ワンツーマンで話したこともなくて、卒業旅行で突然言われたその言葉に僕はびびってしまってそのまま退部してしまったのだけれど、ごめんなさい。やってなかった、多分今の私と同じだった。素敵なドラムを叩く人だった。
大学でも懲りずに夙夜音楽をしてるみんな、
音楽してる?楽しくなくても、音楽してるんだろうな 大丈夫だよ、ありがとう