陳腐な言い回しとか言葉は、みんながそう思うから陳腐になっていくのであって、つまりは腐ってなんかいないんです。

と思った、ここ数日。

身内が死んだ。急に死んだ。日本の平均寿命よりずっと早く死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。

人が死んだことを、人が悲しむことを、それすら文章化して可視化することって卑怯の境地だ。それを生業にしようだなんて、嫌だ。絶対なりたくない。嫌いだ自分 自分を慰めようとする自分

 

人が死んだら悲しい。どうしようもなく悲しい。忙しくしていた方が紛れる。涙が伝ってファンデーションを巻き込んで落ちると喪服がフケみたいに汚れる。鼻水は勝手に口まで垂れてくる。実感は湧かない。遺族はやることが多い。周りがやれよ。茶ぐらいは自分らで出せ。自殺なんてするもんじゃないなと思う。こういう最期で幸せだっただろうなんて後付けでしかない。お坊さんだって泣く。お腹が空く、それが嫌だから食べれない。無機物。安置所の寒さ。

ほらね、本当のことなんて、陳腐なんです。誰かが死んだら悲しいなんて、みんなが知ってることなんです。でも本当のこと

全部虚構なんです 考え抜かれた言葉なんて、感情に殺されるんです。こんなの無力なんです。天国なんてないんです。だってそれは遺された人たちの想いだから。なんにもないんです