サイコーに面白かった君のこと

 

(今回も回顧録です。)

 

 

自分は幼稚園・小学生ぐらいの子供と関わる機会が日常的にあり、ふと自動的に自分の子供自体も思い出します。

その中でも定期的に思い出す記憶。

 

 

サイコーに面白かった君のこと

 

その日は雨上がりで、小学3年生の私とちさちゃんとしょうまくんとえいごくん(全員仮名)は登校班が一緒なので並んで帰っていた。

学校から出発する登校班は一応他学年混同なのだけれど、ど田舎に住んでいる私は小学校から1時間弱歩く必要があり、家に近づくにつれて登校班はバラバラに解けていく。つまり仲良い同士で集まって、自由におしゃべりし始める。

ちさちゃんとしょうまくんとえいごくんは別に特別仲が良いわけではないのだけれど、学校から1時間も歩くと同じ方向の友達もいなくなってくるので、自ずとこの4人で帰っていた。

その中でもしょうごくんとえいごくんはツーカーのような幼馴染で、この2人の掛け合いは、はねるのトびらよりめちゃイケより面白かった!!!

基本的には2人ともボケ(だったような気がする。当時8歳の子供にボケツッコミの概念はない)。小学3年生がやりそうなコマネチ…先生のモノマネ…テレビ番組のネタ…は一通り網羅していたような気がする。

 

ただ、記憶にあるのはこれらではなくて、ある梅雨の日の下校中。雨は晴れて、4人は手持ち無沙汰に傘を引きずって話している。

通称『ぐねぐね道』と呼ばれる山道(?)を歩いていて、ここを抜けるには30分ほどかかる。今考えると往復2時間かけて毎日小学校に通うなんて正気の沙汰ではないですね。

つまり、退屈だったし、刺激に飢えていた。じめっとした空気は息苦しくて、体操服が汗と湿気で生暖かく重くなっていた。

私かちさちゃんがいつものように、『なんか面白いことやって!』と言う。モノマネでも、テレビ番組のネタでも良い。

すると、しょうまくんが『コマネ……』と言いながら手を股間部にあて……ようとして、

あて…

あてず、

閉じていた傘をおもむろにバサ!!!と頭上に広げて、

真顔で一言。

『傘回し』

くるくるくる…

隣にいたえいごくんは、示し合わせたかのように、笑顔からスッと真顔に切り替えてしょうまくんを見つめる。

歩みを止めた2人は、何も言わずにその場に立ち続けていた。ただ、傘だけがくるくるくる…と回り続ける。

 

爆笑。

 

文字にすると分かりにくいかもしれないが、小学3年生の笑いは、うんこしっこ下ネタか大声しか種類がない。

そこに、強制的にシュール・静の笑いがインストールされたので、私とちさちゃんは狂ったように笑い続けた。

記憶がおぼろげだが、一旦笑いすぎてランドセルを道に置いた記憶もある(なにそれ?)

 

そこからはいわゆるお笑いで言う天丼ゾーンに入り、私かちさちゃんが前フリをして、2人が他のネタをしようと見せかけて傘回しをする時間に移行した。

天丼という言葉が普及する前から、天丼という笑いは老若男女の間ではメジャーだったんですね。もしかしたら最古の笑いかもしれん。

 

当時は、ハー笑ったな〜ぐらいにしか思っていなかったが、歳を経るにつれてこの記憶は強度を増していく。

数年前、鬱で死にたかった時さえこの記憶は現在だった。紫がかった思考のなか、ランドセルを下すまで笑い続けた私を思い出す。

今では、しょうまくんとえいごくんに畏怖すら覚えている。8歳が、真顔でボソリと言うシュール系オモロ、やろうとして…やらない裏切り、天丼、を網羅して、しかもそれを即興で成せるなんて、そんなことありますか?

天才だよなあ、と思うけれど、しょうまくんは普通〜〜〜〜にサッカーに打ち込んだのち就職しているし、えいごくんにいたっては中学から疎遠になってしまったので、多分お笑い芸人にはなっていない。

 

 

思い出補正と言うやつで意外と大したことないのかな?いや、今でも超面白いです。

記憶の中からまた見せてください。