5月の雑記

 

真に美しい文章というのは心が底の方にないと産めないのだと気付いて、友達もいて勉強も出来て彼氏は大好きで飼い猫に癒されてそんな生活をしていたら50音順すらそらんじれないほどの怠慢

僕は太宰治が好きで、好きといっても夏目漱石芥川龍之介もほとんど読まないので浅いものなのだけれど、彼の文章は孤独を軸に書かれているもので、つまり彼はふしあわせを代償に美しさを手に入れたのだなと思っている 

ピアノもうまく弾けないしダンスもうまく踊れない、大袈裟な演技を続けるだけの自分であるから幸せを望んでしまうし、幸いにも僕の周りも僕の幸せを望んでくれている。ありがとう。

 

高校生の頃。

友達が、『もし、偶々目に入った幼稚園の中で自殺を図ったら、そこにいた園児たちは一生目の前で人が死んだことをトラウマにして何かと言い訳にする。甘えんなと思う』と言っていて、これは未だ私の中の大きな指針になっている。僕は梅ヶ丘だろうと光が丘であろうとひばりヶ丘であろうと臆さないぞ、と思う。聞く人が聞けば酷いことばかりの20数年間だったように思うけれど、大量の向精神薬のせいなのか人間に備わった作用なのか、昔のことは、特にトラウマになり得るようなことは段々と忘れていって、微睡んでいるような気分の、近頃。

 

彼氏は、バラエティを見れば笑う。喧嘩して仲直りしたあとに安堵からか泣く。セックスをすれば恍惚の表情を浮かべるし、社会の理不尽に対しては子供のように素直に憤怒する。影響されやすい自分なので、一緒にいるうちに正しい感情コンテンツの使い方が分かってきて、渋谷のスクランブル交差点でも羽が生えないぐらいにはしゃんとした心待ちになった。

堅実さはなによりも大切だ。少し腹が立つぐらいの人と一緒にならなければいけない。

 

 

NHKののど自慢に出るから前口上を考えて / そしてそのままデュエットしましょう (自由律)

 

 

 

誰か。僕と文章を書きませんか。