部屋

部屋、というテーマで書き下ろしたものです。

 

 

 

 


  部屋。何もない。都内一人暮らし女子大生ワンルーム

来る人来る人が、本当に何もないね、というほどに。シンプルか、と言われればシンプルに見えるほどのおしゃれさは持ち合わせておらず、無印良品のモデルハウスみたいな?と聞かれればあんなに整っていない、と答える。今でこそ何故か猫を飼っているので少し乱雑さは増したけれど、とにかく生活に必要最低限なものがバランスやセンスを全く無視した色と素材と配置とで在る。

  今でこそ毒親だとかアダルトチルドレンという言葉がそういう専門界隈の意図とは微妙にズレた方向で流行っているけれど、自分も漏れなく“それ“であって、実家のリビングはリビングではなく、子供部屋は子供部屋ではなかった。部屋に置かれたソファーはただの座るものであったし、タンスは服を収納するものだけだった。違うんだ、家庭におけるソファーっていうのはもっと、こう。分かって欲しい。家族、の最たる記号なんだよ。座る座らないの問題じゃない。駅のベンチと同じ用途のものだよって、そんな悲しい話があるか。だから実家、と言われて思い出すことのできる風景は少ない。家の中、に限定すれば皆無と言ってもいいぐらい。

  高校生の頃は、思春期という枠組みを超えて不安定で、且つ周りを巻き込んで不安定になるような人間だったから-今も根本的にはそれは変わっていないけれど-、常にくっついて話を聞いてもらったり慰めてもらったりする先生がいた。その人は定年を控えたおじいちゃん先生で身長も小さくて和かだったからマスコット的な存在としてみんなに可愛がられていた。おじいちゃん先生は私がくっついたりちょっかいを出すのを避けながらでも満更でもなさそうで、だから暇を作っては職員室に入り浸っていた。私が上京してからもLINEやtwitterでの交流は続いて、ある日、いま千葉にいるから遊ばないか、と誘われた。当時の自分は大学に行ったり行かなかったり、とにかく無気力に自分を卑下することでなんとか生きているような有様で、高校の頃の栄光や思い出のようなものに縋っている部分があったのもあって電車を1時間乗り継いで千葉の海沿いの駅に行った。駅名は忘れてしまったけれど、怪獣より大きなアミューズメント施設が立ち並んでいて、私とその先生はアホみたいにでかい映画館で公開初日の君の名は。を観た。まだ話題になるずっと前で、この映画もしかしたらすごいんじゃないか、と興奮しながらエンドロールを観ていた、気がする。映画の最中には手を握られていた。それも気にならなかった。だって君の名は。すげえから。

そのあとホテルに行った。ホテルって言っても愛じゃなくて先生が泊まっている海沿いのビジネスホテル。コンビニでおでんを買って、部屋で食べて、なんとなくそのまま泊まることになって、SNOWで自撮りして遊んだりして、そのまま、小鳥が鳴いたぐらいのちっちゃなキス。明け方、寝ている私に覆いかぶさるように、触れるだけの中学生のキス。

かわいそうな人って、言ってあげるよ。って、当時付き合ってた彼氏は泣きじゃくる私に言った。寂しいって言い訳は嫌いだけど、かわいそうな人だね。かわいそうだって言って“あげる“。

   1年間、風俗で働いてた。デリヘル嬢-デリバリーヘルス嬢、いわゆるラブホの部屋にお届けされるやつ。渋谷道玄坂のホテル達を50周はした自信がある。同じ部屋なんて数え切れないほど使ったし、もはやどのホテルがどういう部屋だったかなんて憶えていない。はじめましてをしてさようならをする、仕切りのあるセックス。ガラス張りだろうが極論ガラス張りのまま渋谷のスクランブル交差点で見世物になろうがベッドがあって誰かが私を認めてくれればそれで良かった。それぐらいの、価値。認識。その頃は荒んでいたといえば荒んでいて、深夜に店をあがってその足で友達-いまは縁の切れたいわゆる身体のお友達-の家に泊まりに行っていた。ビッチだったという自慢でも、求められていたという女のプライドでもなく、複数人の家を渡り歩く、透明な水みたいな生活。お風呂を借りてベッドを借りて、朝5時に起きて少しだけ迷惑料のお金を包んだ後に相手を起こさないように家を出る。この生活は今はできないけれど、美しいとは思う。安寧を求めないことは美しいと思う。

簡潔に言ってしまえば、部屋、というものに永続性のようなものを求めていないし感じてもいない。いつでもどこへででも行けるように、何もないことが望ましい。居場所がない、なんてそんな体裁のいい悩みは持ち合わせていなくて、私の居場所はいつも私だった。それ以外のどこにもなかったし、それは当たり前のことだ。大切にしている人形や漫画や或いは家具はあるけれど、如何せん物にも金にも執着がないのでいくらでも買い直してしまう。明日オーストラリアに旅立ってくださいと言われればリュックひとつで日本を出るだろうし、その時部屋はまるごと燃やすぐらい、それぐらいじゃないといけない。安住の地なんて存在するはずがない。あるとすればそれは仕事を終えて渋谷駅から吉祥寺駅へ向かう京王井の頭線の赤いシートの上、高校生の頃の放課後に座っていた先生の隣の椅子、母親が私を殴った汚いキッチンの床、その日初めて出会った男の腕の中。そういうものをかき集めてひとつの形にして、それを部屋と言うならばそのなんと綺麗で無骨なことか。

部屋はいらない。部屋は安寧と安住そのものだから。まだいらない。でも必要になるときが来る、多分。今結婚を前提に付き合っている人は、社会から見て極めてまともで、きっと自分の部屋をこだわりと一緒に持ちたい人だから。必要になったら、また考える。

山河もない

 

小学生の頃から、自分は将来文章を書いてそれで生計を立てて生きていくのだと信じて疑わなかった。読書感想文の校内代表は小学校から高校まで私で、何かの公募に応募すれば面白いほど反応が返ってきて、親が唯一褒めてくれるのも私の文章力だった。毎日空に祈った。神様はいないと思うけど、小さい頃はいた。神様ありがとうございます。私に言葉を与えて下さって、私の中に言葉を下さってありがとうございます。私の武器は言葉しかなくて、いろんな人を傷つけたけれどその分助けようともした。森田の言葉はかみさまみたいだね。って、高校のとき片思いしていた女の子に言われて、よかったって思った。言葉があるから1人でもよかったし、言葉があるからこそいつも1人じゃなかった。

今はもう何もない。国も敗れたし山河もない。圧倒的な敗北。東京なんかに来てしまったからなのか自己破壊的な行動を繰り返してしまったからなのか、私の中には何もなくなった。神様ありがとう。せっかくくれたものなのに何にも成されなくてごめんなさい。

さよなら

表現のこと

 

撮影会モデルのバイトをはじめて3ヶ月経ったのだけれども、その所感。あ〜〜〜〜私が消える〜〜〜〜!!!!!モデルと言ってもめちゃくちゃtwitterして自己アピールして自分で予約を取らなきゃいけないし、当然のごとく卑屈で斜に構えてるようなこんな自分のままじゃダメな訳ですよ。下北沢を500段下げたようなクソ普段着と撮影会用のひらひら服は別に準備しなきゃならなくて、おはようんこおつか蓮舫なんてツイート出来るはずもなく。おはようございます☀︎ 今日もいちにち頑張りましょう(´,,•ω•,,`) 歯が浮く。

表現は自由なんだよ!自由こそ表現なのだから!!悔しい。悔しくてカメラマンさんのレンズに粘土ぶつけたいぐらいだ。表現を勝ち取りたいのに表現させられていて、圧倒的に敗北。文章も書く。絵も書く。歌も歌う。写真も撮られる。何にも特に突出していないから全部やるしかないし全部やった。文章を書きたいのではなく、表現をしたいのです。順序が逆。その痛々しいほどの欲求はどこからのものかは分からないけれど、生涯を費やすことになるんだろうね。ふんっ

 

天使のこと

こんなこと言わないんだけど、ほんとは。普段は。だって1に痛いし2に救いようがねえし3に私もう20だし でも泣きそうな夜だしね。ブログ久しぶりだしね。

 

自分のこと、神さまから遣わされた天使だと思ってる。っていう。これは一種の現実逃避で、一番精神が辛かった時期にある子に さくは天使として産み落とされたんだからいろんな苦労があるんだよ という慰めの言葉から起因している訳です。そうするとその時自分の周りに起こっていた多くの厄介ごとがしょうがないものになってストンと息をつけた。訳わかんないと思うんだけど。ぼくりりの炎上意識してないっすよ。

 

 

おとといの夢。

 

大学に入って初めて付き合った人は、同類だった。私を一目見て、天使やってるよね?って聞いてきた。なんやそれって感じだと思うんだけれど。ある日、いつまでも待っててって言われて、そのまま音沙汰なく半年間が経って、待てなくなった私が逃げ出した。その彼の夢。

まだ消していない彼のLINEのアカウントから、唐突に届いた長文メッセージ。待たせてごめんね、もう大丈夫だからおいで。って。

でももうダメなの私、人間なんだ。普通の優しくて愛をくれようとする彼と付き合って、吉祥寺の雑貨屋ではしゃいで、自炊をしたり洗濯をしたり、道で困っている白杖の人がいたら話しかけたりさ。そういうことをしてしまう、出来るようになっちゃった、人間なの。天使に戻れることはとても魅力的に思えた、何にも傷つかなくて済むし、助けを求める人たち皆を優しく包めるしね。でも今の私は車校の技能教官に怒られて泣いて、誰を救うどころか両手を広げて恩恵を求める人間の赤ちゃんなんだ。

バイバイ大好きだった天使さん。

 

 

文章力が低下したなァ

ぼくのなつやすみ

留学にも行かなかったし花火大会にも海にもどこかに旅行にもまとまった帰省にも、かといって何かに打ち込んだりもしなかった。それを勿体無いとも思わないので勝ち。勝ちだけれど有意義かと言われたらそんなことは全くないです。

彼氏と会う以外はコンビニに1日2回行くだけの生活なので、ベッドに寝転びすぎて腰が痛い。

 

唯一の変化はモデルのバイトを始めたことぐらい。主に撮影会のモデルなんだけれど、個々でtwitterをやって集客を自分でしなきゃいけない。twitter毎日更新してください。はい。風俗と同じシステムじゃんなどと思った。〇〇(活動名)さん、ネガティヴなことは書き込まないでください、自分を売る場所なんですから。ネガティヴっぽいやつは運営で全部消させてもらいました。すみません。でも私なんてネガティヴなことしか言わないんですよ。ポジティブで明るくて時々落ち込むけどへこたれずにちょっと抜けてるキャラ設定なんてしてしまったら一気に画一的。それともそれを本来の個性として持ち合わせる人間しかモデルには向いていないのか?おはようとおやすみとライオンぐらいしか言うことがなくなってしまった。モデルなんて自己顕示欲の最たるものだというのにこれじゃあまた真逆なんだよなあ。近々やめよ。

 

東京が大嫌い。だと気付いた夏だった。東京のどこが、というよりそのものが受け付けられないのだと。きっと私は秩序のあるものが苦手なんだろうな。かと思えば向上心の隣に無頼派が居たり、クリエイティブの隣に廃ビルが建って居たり、こんな街はもううんざりですよ。つまり東京っていうのは中高大学生が青春するための舞台だったりフリーターが夢を追いかけるステージだったり洗練された事物が集まる広場だったりつまり何かのための何かであって、それは極めて人為的であるからもう人が住む場所ではないんです。何かを手に入れたい時に、中央線に乗って行く場所なんです。だからぼくは東京が嫌いです。上京の末夢破れ、なんて経緯もないにも関わらず、目を閉じて実家を思い出すだけで泣いてしまうのです。

 

 

 

お酒のこと

酒との付き合い方、というものが全く分かりませんね。20になって半年、18の頃から未成年飲酒ガバガバのサークルにいたにも関わらず今の今までほとんどアルコールを摂取していない。なんて健康的、大学生としては不健康的。酒の失敗は大学生のうちにしとけとは言うけれども。店のトイレでゲロったことを武勇伝のように話したりだとか、インスタのストーリーに泥酔した仲間の様子を載せたりだとか、果てには酔った勢いのワンナイトラブだとか、大学生だから許されるよねっていうこういう色々を斜に構えてカッコ悪いと見てしまう人間。東京で暮らしていくのになんて適さない性質。大学生、酔ったもん勝ちだからな。酔っていかにセックスに持ち込むか勝ちだからな。そしてそれをいかに酒のせいにするか勝ちだしな。一向に負けてきた人間なので洒落にもならない。

そもそもアルコールの一切を美味しいと思えない時点で、酒そのものではなく酔った雰囲気を楽しむしか道はないのだけれど、そんなの虚構じゃないですか。素面から抜け出して無礼講無礼講お酒の力を借りちゃおうだなんてただの虚構。翌朝起きてしまえばなにもなかったことと同じなんです。可視化できないもの。夢。虚構は一人で楽しもうね。一人で楽しんだらそんなのはやけ酒だ。精神科に行け。お酒が飲みたいだなんて、お酒が欲しいだなんて、そんなのは病気なんです。お酒の成分も向精神薬の成分も実は同じ。だから飲んでも吐かないでよね。

ノリのこと

前の大学を辞めた理由をよく聞かれて、よく考えるんだけどあまり分からない。無理だ!と思ったから辞めただけで、その後世界一周の旅を経て中央線のドアで宣伝される自己啓発本などを書いたわけでもないし病床に伏せっていたわけでもないし何かしたわけでも何もしなかったわけでもなく、1年経て偏差値をガンさげて職業訓練校に入学しただけでめちゃくちゃ面白いな。って言ってみたけど別に特に面白さはないな。ふらふらっとした人間。という感じ。中退理由も一身上の都合、で通ったし。敢えて言うならノリが合わなかった。でもそんなのめっちゃ現代の若者。価値観が合わなかった。それ親の離婚理由。未来が見えなかった。それ元彼との破局理由。つまんな。ノリが合わなかったんです。ノリ、という幅広い語彙。例えば部活サークルの飲み会での乾杯。席を立って先輩にグラスを杯に行くのが同期の普通だったけど私はぽつねんとしてた。その時間が苦手すぎてトイレ行くふりして外で不思議ネット見てたこともあるぐらい。飲み会で酔った先輩たちの絡みを笑いながら動画に撮ってる同期の中どうしたらいいか分からなくて外見てたり あとは途中ですっと帰ったことすらある。ジャズは魂だ心だってそれを曖昧に濁して聞き流しちゃったり。私はソロも耳コピでやるんでいいですって一人だけのポジションをつくっちゃったり。それが全部、まああの子なら許されるよねっていう立ち位置を作り出したかといえばなんか噛み合わないなあと私が思っているせいで余計に浮き彫りになったり。集団が苦手なのかといえばそんなこともなくて、集団内のルールというか雰囲気の決まりというかそういうものを意識することなく楽しめることの方が多い。ノリが合わない、のノリって、なんとなく嫌い。ってことなんだろうな。それなんとなく嫌いです。

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もっとうまくやりなさいよって言うし思うのだけれど、嫌いだからね、しょうがない。流されて生きようね。